寂しさの反対は?(1)

はじめに、

寂しさなど感情を、単純に脳波の周波数によるものであると言う、最近の脳科学の分野の検証を支持する方は読まないで下さい!











皆さんはとても強い、
と言うよりも、
正常であるのかもしれない。

僕がとても弱くて、
ただ、異常なのかもしれない。


そんな風に思えて、
敢えて言葉にしようとした時は、
大抵なげやりな時。


とても寂しい

怖さも苦しさもなく

ただ 寂しさに体が震える



夜だけでなく

昼であっても

寂しさには変わらない



妻や子供たちが離れるさみしさ

友だちがいないさみしさ

今生で再開した者たちがいなくなるさみしさ

人と同じように動けないさみしさ


そんな羅列されたことが全て

無くなったとしても

消えないだろうさみしさ


そして寂しくないって何なんだろうって

反対語を考える


ほんとうに今日も寂しかった





以下は、引用です。

大人世代の人生再起動
(投稿日: 08/07/2014 投稿者: 上野 元)
https://www.hajimeueno.com/archives/227



寂しさの反対語とは何だろう? イェール大学を卒業したばかりの22歳が遺した言葉





先日ポートランドでWorld Domination Summitを主催したクリス・ギレボー氏がブログで紹介していた本が鮮烈に印象に残って、早速Kindleで購入してしまいました。
本当の著者であるマリーナ・キーガンさんは、2年前、自動車事故で亡くなっています。22歳。イェール大学を優秀な成績で卒業したばかり。在学中から学校の発行するメディアを舞台に執筆をしており、その才能は「ニューヨーカー」誌に認められて、もうすぐアシスタントエディターとして働くことになっていたという時期のアクシデントだったそうです。
彼女が卒業の間際に学内メディアに発表した文章を中心にまとめあげた一冊が、この「The Opposite of Loneliness(寂しさの反対)」。一部の文章がウェブに引用されていて、この短い文章を読んだだけで、彼女が優れた書き手であることが強烈に伝わります。
We don’t have a word for the opposite of loneliness, but if we did, I could say that’s what I want in life. It’s not quite love and it’s not quite community; it’s just this feeling that there are people, an abundance of people, who are in this together. Who are on your team. When the check is paid and you stay at the table. When it’s four a.m. and no one goes to bed. That night with the guitar. That night we can’t remember. That time we did, we went, we saw, we laughed, we felt.
What we have to remember is that we can still do anything. We can change our minds. We can start over. Get a post-bac or try writing for the first time. The notion that it’s too late to do anything is comical. It’s hilarious. We’re graduating college. We’re so young. We can’t, we MUST not lose this sense of possibility because in the end, it’s all we have.
前半部分を簡単に訳すとこんな感じでしょうか。
「寂しさの反対を意味する言葉を私たちは持っていない。もし持っていたとしたら、私が人生において望むものは、それだと言えるだろう。愛と言うのでもない。コミュニティともどこか違う。それは、人々がいるという感覚、あふれんばかりの人々と共にいる感覚だ。彼らは同じチームに属している。支払いを終えてもテーブルから立ち上がらない。午前4時になっても誰も眠りにつこうとしない。ギターと共に過ごしたあの夜。覚えていることなど出来ないあの夜。一緒に何かをした、行った、見た、笑った、そして感じたあの時間。」
この後半部分で、彼女は、「無限の可能性を感じられたあの時を忘れてはいけない。私たちの人生はまだ始まったばかりで、遅すぎるなんてことはありえない」と語ります。語るというか、揺さぶられまくって、訳すのをためらってしまったのでした。力強いです。
 
寂しい、という感情自体が、そもそも定義が難しいものですね。だからその反対を意味する言葉も浮かばない。寂しくない、という言い方は、寂しい感情の存在を否定する表現ではあるけれど、それは、赤い、に対して、赤くない、と言っているのと同じで、反対語とは違います。
濃密な時を共に過ごして、卒業と共に、それぞれの道へと旅立っていく仲間に対して贈られた愛情あふれる言葉にグッと熱くなりました。


彼女の言いたいことを全て理解することはむずかしいでしょう。

また、何故、寂しさの反対を考えなければいけないのかを意見する人もいるはずです。

ダンスしている時の楽しさや幸福感は、脳波のシータ波首位らしいですが、その時にの気持ちは、寂しさの反対だと言えますか。


僕は、この反対語を、哲学的や科学的な分野で処置して欲しいとは思いません。
考えてもらいたいのです。



哲学的に説明しようとすれば、人の心から離れます。

科学的に説明することほど簡単なことはないです。


神とあの日の自分

楽しくて幸せな毎日が続きますように! 妻と子供たちと愉快に暮らせますように! 神とあの日の自分1

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